テーマ「植物の時間コンピュータの時間」
(投稿者 星 理事)
1992年に新書初版が出た「ゾウの時間ネズミの時間(本川達雄著)」という本で、ライフサイクルの周期時間と時間感覚は相関しますが、生涯鼓動数や体重あたり代謝量は変わらないことが書かれています。世の中はスマート植物生産やSDG’sが流行(はや)りです。ICTの活用口実をつくり、アグリビジネスを目論見、関係する異分野の研究者・技術者が鵜の目鷹の目でワッと集まってきています。でも、これまで得られた果実は、キメラの如く、ひとつの生物体の中に、異種生物がなじまずに同居しているように感じます。これは、両者の世界の時間感覚のズレに起因しているのではないかと妄想し、つれづれに駄文を綴ってみました。お付き合いいただければ幸いです。 制御の王道は閉ループです。栽培は、植物が良く成育する(生産者が儲かる)ように常に環境を制御します。良し悪しのフィードバック用情報をどう得るかが栽培管理を成功させる秘訣です。植物の嵩(かさ)、色、艶、姿などが代表的です。ここで重要なのは、それらの変化(想定値との違い)をどれくらいの短時間で気付けるかです。日周期、天候、個体間のばらつきなどによる変動もあり、それらを差し引いて収穫に影響する成育変化がわかるようになるには経験が必要です。栽培難易度にもよりますが、私のこれまでの経験では、同じ品種の植物を10作くらい栽培すると、昨日との違いがざっくりと分かるようになります。体得した同じ作目の別品種の場合には、その1/4~1/3程度の作でそうなるように感じます。鉢花を購入して育てたものの、気が付いたら枯れていたという体験がある皆様も多いと思います。栽培未経験者にとって、変化のサインを感じることはかように難しいものです。深層学習が進歩すれば、1日間程度の成育特性変化の画像検出が将来できるようになるかもしれません。 時間当たりでエネルギーコストがかかってくる閉鎖人工環境植物生産(植物工場)では、まさに「時は金なり」です。リーフレタスは植え付け後3週間程度で収穫です。1日間など待っていられないので、もっと反応の速いフィードバック用情報はないのかということになります。植物は光合成(炭酸同化)で生きるエネルギーを得ています。二酸化炭素を吸収する(食べる)能力(食欲)が大きいほど、生産性が高いことになります。二酸化炭素吸収速度のことを専門的には純光合成速度と呼びます。純光合成速度が変化する主要な要因の一つが、植物のガス出入口である気孔開度です。環境が変化すると大体数分~30分間程度で気孔開度が変化します。純光合成速度は植物成育の速いフィードバック用情報として使用されはじめました。でも、環境制御用コンピュータの制御サイクルは、ほとんどが1分間です。環境制御に植物成育情報を取り入れるには遅すぎます。開ループ(予測)制御にかなり頼っている現状です。 コンピュータを使ってある環境を少しだけ変えます。そして、少し待って純光合成速度を調べます。次に、前後ふたつの純光合成速度の大きいほうが植物生産により良い環境と判断し、そちらの環境を採用します。この試行錯誤を何回も繰り返すと、最も生産性の高い植物生産環境制御設定値の組み合わせを得ることができ、最適植物生産ができる理屈です。1980年代当初、山登り法は画期的なアイデアだ、農業は工業の一部になるなどと、期待されました。しかし、このような方法でリーフレタスを生産すると、植え付後1~2週間で育たなくなり、場合によっては枯れてしまいます。まったく収穫できません。植物は生き物で、ブラック企業のような植物工場には耐えられないのです。 状態量を微分して極大する方向を見つけ、それを積み上げて生産性を上げていくという、いわば日本のお家芸PDCAの短時間サイクル化の追求手法にマッチしたフィードバック用情報は光合成関連 (純光合成速度、クロロフィル蛍光、気孔コンダクタンスなど)しかないのが現状です。今後は、遺伝子発現量、特定タンパク質定量などがあるかもしれません。今でも、「光合成最大、光合成最大・・・チーン」と、お経のように唱えながら、各種の試みがなされています。光合成は手段であり、目的ではないと思います。時々刻々と得られた膨大な植物生理学的情報を積み上げ、どのように徳を積めば、生産者が儲かるのでしょうか?光合成原理主義と総本山の微係数積上教に勝ち目はあるのでしょうか?定常的な時定数がある植物成育をコンピュータのクロックで速攻している姿は、空回り感が強いです。 たとえ、こんな「時は金なり」方法論が果実を結んだとしても、弱い植物需要に対して、施設による高速大量生産で供給過剰を引き起こせば、レッドオーシャン(豊作貧乏)化は必然ですし、設備投資の負債を抱え、労働所得は以前とさして変わらず、自転車を止めることは許されずに大型施設をとにかく回さなければならないと苦労が増える(施設園芸先進国と崇拝されるオランダの今の姿)だけというのが私の実感です。これは、スマートな施設園芸ではないでしょう。そもそも、私にとってのスマートな施設園芸とは、需要に応じて融通無碍(むげ)に作目・作型を変え、建設解体が容易な機動力のある仮設ハウスを使って神出鬼没(しんしゅつきぼつ)に生産し、ブームを創って高単価で売り抜けていくようなイメージが思い浮かびます。スマートなものは、およそ持続的ではない、つまり反SDG’s的だと私は感じています。誰が名付けたのか、「スマート農業」という言葉は、今の時代、筋が悪いと思います。 食品には、年月を経た円熟の味というものがあります。木材などを使った調度品には、ビンテージという価値があります。また、植物バイオマスがそのままで留まっている時間が長ければ長いほど炭素の貯蔵庫になるので、環境持続性に肯定的です。このように、一見無駄な時を積み上げる逆張りの施設植物生産と利用場面の探求はどうかと、食指が動いている近頃です。